ムシの日。
鎌倉の建長寺には虫塚というものがあり、バカの壁などの著作者、養老孟司先生が建立された。そこでは毎年虫供養が行われているらしい。自分も少なからず昆虫殺生をしているのでいつかは参列したいものだと思っているのだが、とりあえずは自分の両親親戚の墓参りで手いっぱいといったところか(笑)
まだ西表島にいます!
毎日毎日雨の日々。
遊んでいる罰だろうが、という声もあるかもしれませんが、遊んでいるわけではありません。
虫の世界では誰もがいるんじゃないか?という新種を探しているんです。
クライミングの世界観で言えば、新しいエリア、新しいルート、未登の課題。そういう最先端のエッジな世界で活躍できるのは現役バリバリの世界を、日本を、地域を代表するようなトップエリートクライマー。
自分にはとっくの昔にその資格はありません。
名乗ろうとも思いません。
もう終わってるんですよ(笑)
昔の栄光をあったのかなかったのか分からない人も多いのですが、いまだに引きずって偉そうな役職や資格を御守りのようにかざして生きているかつての同僚?には、ただただご苦労さん、としか言いようがないですなあ。気づいてないのは本人だけ、というのはどこの世界にも見られることですから。
虫の世界には現役引退もトップエリートもなにもありません。
肩も指も、視力もままならないようになってから、自分のどうしようもない奥底から沸き上がる衝動。好奇心。向上心。そういった生きている上でもっとも大事な気持ちをぶつけることが出来なくなった。
クライミングにはもう、ない。
未練はない。
20年前だったら死んでもいいと思っていたかもしれない。
クライミングのない人生なんて、なんて。
多くの知人知り合い、そして友人が岩や山で先に逝っちまった。
彼らのためにも頑張ろうと思ったが、頑張るにも限界というものがある。
これまでの経験を活かして指導者へ、というのが常識的な道だろう。
多くの同世代がその道を進んでいる。
それは正しい。
頑張って欲しい。
自分の時代は、自分で全部考えてあれこれ試した。だからなにが無駄でなにが有益かは少しは情報が蓄積されている。他の競技ではそのような蓄積がより効率的なトレーニング方法や思考をかなりな若年層から指導することで世界的なレベルアップを築いている。
自分の中ではクライミングは「道」なので、これからの時代も各個人で考えて自分なりの道を磨いていくことが良しと思う。
話が脱線しまくりですが、
要するに虫の探索にはまだ夢を持てる、ということです。
クライミングも虫も、どちらもまったく世の中の役に立たない運動です。
本当に役立たず、とはこのことですね(笑)
偉そうな人はすぐに反感持ちそうですが、世の中に為になるようなことって、実はそんなにたくさんないんですよ。
ほとんどの事象が、関係ない人にはまったく必要もない無駄なこと。
そんなことも考えること自体が無駄なことですがね(笑)
同じ6月4日、30年前。自分は23歳のとき。
北京で民主化運動でたくさんの若者が自国の軍隊に虐殺された天安門事件。そのときは120%クライミングのことしか考えてなかったな。でもいまにしてニュースを見てると、殺された学生と、機関銃をぶっぱなした兵士も、同世代が多かったろうに。
生き残ったそのときの兵士の、いまの本当の本心を聞いてみたい。
それが世の中に出て、世界中で共有できるとしたら、
はじめて、
クライミングとか虫とか、ほかの多くの無駄なことことが、
大事なことになるような気がする。
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