カーフェリー、九州道、山陽道、新名神、新東名、
車中泊ふくめて丸1日の運転で神奈川に戻ってきた。
久しぶりの関東地方は杉花粉が酷い!
そして寒い!
来週連休明けには桜が今年も開花するそうです。
奴がシュルントに消えたのはおととしの今月末。
知らせを受けたとき、満開桜がなぜか忘れられない。
あれからいろいろあった。
いつまでも忘れられないことは、忘れる必要もないことも、最近ようやく分かってきた。
おととしの10月、七五岳東稜をオンサイトフリーソロしたときは、いまから振り返ると自分でもかなり逝っていたと思う。
おかしいぐらいに視野が狭かった。
なにかに追い詰められている感じがしていた。
今回、屋久島に渡る前に奴の子供達と家族に会って話しが出来て良かった。
行きの助手席にはあきらかにその存在を感じていた。
今回も自分的にはかなり逝ってるハイボールの初登も目的のひとつだったので、あらゆる準備万端のうえで成功できた。
グレードはそれほど高くなかったから登れて当たり前と言われればそのとおり。
ただ、6mという高さと下地の悪さ、そして、なによりも誰も登っていないということがなにも情報もないという事実。
誰かが登ってグレードを決めてあったりユーチューブにアップされた完璧なムーヴを見れる訳でもない。
すべてが自己責任で、やるか?やめるか?というクライミング本来のトライの判断が試される。
緊張したなかでも、
なぜか奴が玉座岩の上から
「あーあ、ボルダーなんだからぶら下がってホールドの確認したらいかんでしょ」と言われている気がしていた。
それも片手に三岳抱えて(笑)
10日間の滞在で、6日と半日登った。
屋久島の天気からすると奇跡的に好天が多かった。
おかげで指皮は指紋なくなり、全身が節々痛くなるまで登った。
島の人達や、宿でたまたま出会った若いドイツ人とも6日中4日間一緒に登れた。
とても楽しかった。
独りで1日トライしてるときも、奴の気を感じていた。
だからまったく独りでいる感覚はなかった。
クライミングを始めて33年。
いちど、完全に気持ちが離れたときもあった。
数多くはない親友に助けられてきた。
だからいまはまた登っている。
自分のクライミングだけをすることにしてから、
いまは本当に楽しい。
ありがとう。
帰りの助手席には、
なにも感じなかった。
いまごろ沢登りでもしてるんだろう(笑)
自分勝手に三回忌、終了。
俺はもう少し頑張るよ
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